当院・研究所の考え方

Concept

自然との繋がり、心の繋がりを築いて、みんなで幸せに生きよう

当院/当研究所の活動は、人が心身ともに健康に生きるためにはどうしたら良いのだろう?という問いかけから始まっています。

資本主義社会では全てが金儲けになってしまい、そのために自然環境・心・身体・などの健康までが犠牲になっています。また、いつの間にかお金だけが一番の価値だと勘違いしやすくなっているのではないでしょうか。

ですが、人が心身共に健康に心豊かに生きるためには、そのどれもが犠牲にならず、偏りのないバランスの取れた立ち位置が必要なのだと考えます。

当院/当研究所では、その立ち位置を模索して行きます。

 

自然との繋がりを大切にし、それぞれを尊重し合える人の繋がりがあり、個性を活かして協力し合えることが出来れば、お金だけに依存することなく、時間に追われ過ぎることなく、孤独になり過ぎることなく、心豊かに生きて行けるのではないでしょうか。

 

心豊かに幸せに生きるために、みんなで考え、学び、行動して行けたら嬉しいです。

目標はみんなで助け合って心豊かに生きていけるコミュニティづくり、村づくりです。

体験がきっかけに

私が自然との繋がり、人との繋がりを大切にして、みんなで共有して生きて行きたいと思うようになったのには今までにきっかけが幾つかありました。

それらが私の人生に大きな影響を与えたのです。

それらを書き出してみました。

現代「医学」に対する疑問

幸か不幸か、私は医師である父の元に生まれました。

小さい時に少しアトピーの症状が出ていた私に、父は良かれと思ってでしょうステロイドを塗ってくれていたのです。

それが地獄の始まりでした。

塗れば塗るほど効かなくなって行き、酷い状態になる。

眼の病気や色んな症状が出るようになり。

そんな体験もあって、私は現代医学そのものに疑問を持っています。

本当に現代医学は人の為にあるのでしょうか?

父はその後、漢方やヨガ、玄米菜食など、東洋医学の学びを始めました。

歴史を学んで行くことでも、現代医学の姿が見えてきました。

学校「教育」に対する疑問

中学、高校と進むにつれて、私は学校に行きたくなくなりました。

学校の先生は私を兄や弟と比較してきました。

お前の兄はこうなのに。弟はこうなのに。とか。

お前は名前負けしてるとか。

それが教育でしょうか?

点数を取れれば良いのですか?

私は心があることの方が大切だと思って来ました。

就職することは奴隷になることだと思っていたので就職はせず、自分で何かをやるんだ!と思って生きてきました。

自分の「心」一つ?

20代は自分の病気、苦しい状態を親のせいにして来ました。

恨んで生きていた時は争いごとや良くないことに巻き込まれていました。

ある時無理をして身体を痛め、追い込まれた中で自分の過去を反省しました。

恨んでも何もならないし、自分が苦しいだけだ。

恨んでるとは言え、本心は親のことが好きなのです。

だったらこの病気は自分で治すしかない。

自分の人生だから100%自分の責任だ。

そう決断できた時から出会う人や情報が変わり、人生も変わって行ったのです。

日本人は「自然」を大切に、感謝して生きて来た

生き方を変え、農的な生き方をすることにしました。

自然の中で自然農で田畑を始めると、日本人は自然に寄り添ってきて来たという感覚が分かって来ました。八百万の神の意味が体感として分かってきました。

戦前生まれのお百姓おじいちゃんから色んな話を聞かせてもらったり。

山のお手伝いをさせてもらったり。

自分は日本人なんだ・・・という感覚が湧いてきました。

戦前生まれのおじいちゃん達との出会いは私の人生にとても大きな影響を与えてくれました。

親子関係で形成された「心」の癖

それまでは過去の経験から人と深く関わることをどこかで避けてきましたが、ある時からそんな自分が嫌になり、深く関わりたいと思う様になりました。

そしてその時付き合っていた女性と一緒に暮らすようになると、親(特に父)から自分がやられて嫌だったことを私自身が彼女にやっていることに気づいたのです。

親子関係とは良くも悪くも影響を受けていて、それは近い関係になるほどその癖が出ることに気づかされ、心の底から反省をしました。

その後、父と向き合って話し合いをすることで長年のわだかまりは消え、今では何でも話せる仲になっています。

それと同時に、人生が大きく変わりました。親子関係は本当に大切です。

親子関係は生まれた時からのモノですから、その癖を変えることはなかなかできない。でも、自分にはそうなる癖があると言うことに気づけると、そうなりかけても都度修正することはできますね。そうして自分自身の訓練をして行くようになりました。

フィリピンの友人の村で体験した「コミュニティ」

フィリピンンで出会った友人から、村にコミュニティを学びに来い、と言われ2カ月間彼の村に滞在しました。小さな子供からお年寄りまでが一緒に暮らしていて、子育てや色んな作業をみんなでしていました。

20歳くらいの若者と話していたら「No money,but happy!」「不安なんか無いよ」と言っていました。みんなで自給自足。問題があったら解決するための話し合いをする。そんな暮らしだから不安にはならないのでしょうか。

友人が日本に来た時、「Jpann,all business!」とビックリして、また「日本人は頭で考え過ぎだ」「もっとシンプルに」と話してくれました。

「常識」を手放して旅に出た

不安とは何だろう?や自分と向き合う意味などを込めて、お金・住まい・仕事を手放して旅をしてみました。出会った様々な人達から助けていただきました。こちらは出会った人のお役に立つこと。全て神様にお任せで感謝で生きる。と言うことだけを決めていました。

大変ではありましたが、何とかなるものだな、という体験ができました。

不安が少しでも小さければ、失敗は大したことではないと思えれば、人は挑戦できるのではないでしょうか。

人を「愛」すること、人と深く関わる喜び

次の課題は「人を愛する」ことでした。以前には出来なかったことです。

旅の中で、次こそは、と決意をしました。

その後に出会った女性と一緒に暮らすようになって、私は決めていたことをやりました。

小さな我、過去のトラウマのような癖をなるべく脇に置いて、ただ純粋に愛する人の笑顔をみたいという想い。それが私自身の喜びになっていました。

そのパートナーは亡くなってしまいましたが、最期の時まで横に居ることができました。

人を深く愛すると、とても幸せな反面辛い気持ちにもなります。でも、傷付くことを恐れてほどほどの距離感を保つより、思いっきり深く接した方が人生は豊かになるのだと思います。

●「世の中」の仕組み

私達一人ひとりは平和や幸せを求めているはずです。

しかし世の中は争いや貧困が絶えません。

 

ここ日本でも家族、コミュニティが崩壊し、人との関りが希薄になっています。

その為か、不安が大きくなっているように思います。

 

教育は偏差値という偏った物差しで人を判断し、またその狭い世界で競争させています。

その為か、助け合いではなく、争い、対立の世界になってしまっています。

こういう教育では、立場や力があることを勘違いしてしまうのではないでしょうか。

 

偏差値教育はあくまで従順に従うことを良いとされていて、就職することしか道を与えていません。

生きるために必要な、食べ物(畑、田んぼ)に関することは教えず、精神的な柱になる歴史も教えられていません。

言われたことをやってお金をもらう、ということしか出来ない私達は、生きる力を奪われてしまっているので、そこには常に不安が付き纏います。

 

政府、政治家、また官僚(全ての、とは言いません)は本当のことを国民に知らせず、間違った政策を繰り返し。

国民負担率はついに50%近くにまでなっています(半分が税金で取られるということです)。

そのせいで日本はどんどん貧しくなっています。

私達の生活はますます苦しくなり、余裕がなくなって来ています。

 

メディアは意図的に、また一方的に偏った情報を垂れ流しています。

国民は同じ情報だけを、無意識に聞かされ見さされ続けています。

不安を与え、私たちは不安に怯えてしまいます。

 

食べ物は、敗戦後、化学物質ばかり使った偽物が出回っています。

何も知らずにそういったモノを食べ続け、病気になって病院に行けば安易にクスリ・・・ついには本当の意味での病気になり。

せっかく汗水垂らして稼いだお金を、自分や家族を痛めつけることに使わされてしまっています。

 

このように、現実的に希望を持ちにくい社会になっています。

 

 

昔からあった色んな事に対する疑問や体験を通して、そこから歴史に関心を持つようになりました

医療、教育、農業、林業、食べ物、政治・・・

 

調べて行って私が感じていることです。

それは人は平等ではないのだと言うことです。

 

世の中には支配する側とされる側があるということです。

また、世界はどんどんビジネスで動くようになり(グローバリズム)、金が儲かればよい、となって行っています。

 

知っているでしょうか?

少なくとも16世紀から白人(というか支配者)は黄色人種や黒人を人とは思わず虐殺してきた歴史があることを。

その中で最後まで残っていたのが日本です。

その日本も太平洋戦争(と言う名の、本当は大東亜戦争)で徹底的にやられてしまい、今日に至ります。

 

歴史を学び視野を広げれば、観えてくることがあります。

物事は逆から観ようとしないと見えて来ません。

例えば、コロナがあったからワクチンではなくて。ワクチンを打たすためのコロナ騒動、ということです。

物事を広く観た時、観え方は変わり、生き方も変わります。

 

今のままでは、私達は檻に閉じ込められた奴隷なのです。

でも、そこに気づくことで初めて奴隷と言う檻から抜け出そうとすることができます。

本当の意味で心身健康に、心豊かに生きるために、、、意識して世界観を広げましょう。

●「幸せ」を感じられる世の中を創って行こう

私達はもっとシンプルに幸せに生きることを目標にして良いのではないかと思います。

そのためにはどうしたらいいか?を真剣に考えても良いのではないでしょうか。

 

今までは学校の勉強をして、良い成績を取って、大きい企業に入って、立場を得れば幸せになれるとか、お金が沢山あれば幸せになれるとか。そう思い込まされて生きて来ました。

お金も立場も必要ではあります。要は使い方ですから。

ただ、幸せになるには「幸せを感じられる心」が育っていることが必須ではないでしょうか?

その心は、人や自然との繋がりを感じられる体験をしてこそ育って行くのではないだろうかと、私は思っています。

 

責め合ったり足の引っ張り合いをするより「想い合う」「聞き合う」「協力し合う」方が。

コンクリートジャングルより「自然」があった方が、喜びを感じられるのではないかと思うのです。

 

現代日本社会は自然から離れ人との距離も遠のき、幸せを感じにくく希望を持ちにくい世の中になっていると感じます。

それは、戦後教育や明治維新(と言う名のクーデター)からの影響が大きいかも知れませんし、歴史を学ばないと見えてこないでしょう。

 

でも、だからこそ、みんなで繋がって学び、考え、行動し、次の世の中を創って行けたらと思います。

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