心のこと。
これは私自身、追求してきたことです。
私は自分が特別とは思っていません。
ですが、小さい頃からおかしいことはおかしいという眼で物事を観ていましたし、筋が通っていない人(大人?)が嫌でした。
私は私なりに自分の考えを小さい頃から持っていて、それに基づいて判断、行動してきました。
ですが、私が小さい頃から大人達は一方的に私に言うことを聞かせようとし、こちらの考え、意見を言わせてくれる、聞こうとしてくれることは殆どありませんでした。
これは今に至るまで、そういう大人、年配の方々が殆どと言っても良いかも知れません。
9年前、旅をしていた時。
私は父に会いに行きました。
純粋に色んな話がしたいなと思ったのです。
ですが、その時の父は、
「お前は、、、」
「あの時は、、、」
と言うように、相手(私)のことと過去のことばかり話そうとするのです。
私は父に、
「お父さんね。会話とは
①“私は(こう思う)“と言うように主語は自分として話し、
②相手が話す時は最後まで黙って聴く
もんやで」
「それに過去のことばかり言うのではなく、今、これからの話が大切やで」
と伝えました。
私の見る限りでは、日本の大人達は、自分の意見を持てず、その割には自慢話をし。
また相手の話を最後ま真剣に聴く、ということができず。
また、相手が自分と違う意見を言うと感情的になる。
ということが多い様に思います。
私の考えとしては、これらは自分に対する尊厳が低い為、相手に対する尊厳を認められないのではないか、と思うのです。
例えば私なら、自分の考えがあるように相手には相手の考えもある、と思っていますから、相手の考えも尊重しようとします。
これは自分に対する尊敬があるからこそ、人に対してもそのように接することができる。
そういうことではないのかな、と思います。
長くなりましたが、人に対する接し方は、実は自分自身に対する接し方なのだと思います。
人のことを批判ばかりし、人をなかなか認められない人は、実は自分自身を認められないことのは裏返しであり、
人を尊重できる人は自分を尊重できていることの裏返しでもある。
ですから、人に対しての怒り、批判、不満などの感情が出てきた時は、それを人にぶつけるのではなく、何故その感情が沸き起こっているのか?に目を向けると良いですね。
そうすると矢印は外向きではなく、内側に向けることができます。
何故、自分はこうなのだろう、、、?と。

これが例えば夫婦などの関係でお互いが出来ていれば、感情的になって喧嘩になるのではなく、お互いが自分に向き合うことができ、関係性が成長していくのですね。
こういう考え方を日本人は教わってないから、、、?
だから夫婦関係なども上手く行かないことが多いのではないでしょうか。
自慢ではありませんが、私は亡きパートナーのTとは、いつもこのような会話をしていました。
本当に幸せな豊かな時間でした。
こういうことも、幸ひ研究所として取り組んで行きたいのです。
この先、また集まって話す場を設けたいなと思います(^^)