早稲田健康改善研究所

過去の活動の紹介です

ここに私が以前活動していた時のホームページを載せておきます。

これは、私が未熟なリにも経験を積んできたということを知ってもらいたいからです。

 

人の身体を触ることは安易には出来ないし、それは触られる側(患者さん)もそうですよね。

そういう意味で、少しでも安心していただけたらと言う思いです。

 

 早稲田健康改善研究所のホームページはこちら

なぜ活動を辞めたのか?

ここで、ではなぜやっていたことを辞めたのか?また、場所も変えたのか?(静岡県浜松市→大阪府高槻市)についても書いておきます。

 

それはぶっちゃけ、自分のやっていることに対する「無力感」からです。

このホームページにも少し書いていますが、私は大切な愛するパートナーを亡くしました。

 

彼女は出会った時から病気で弱っていましたが、私はそれを何とかして元気になってもらいたかった。施術で一時はとても元気になりました。心も少しずつ楽になって行きました。

 

ですが、本人の今までの頑張り過ぎと言う心の癖(そんな単純なことではありませんが、、、)。それまでの身体のダメージの蓄積。

また私自身の人として、また治療家としての未熟さのために、彼女の身体を元気いっぱいにさせてあげることは叶いませんでした。

 

俯瞰すると、人の命は長いから良い短いから駄目、でもないし。

魂的に考えたら今生で死ぬことが死とも言えません。

良い悪いも人間が考えたことです。

彼女とは沢山の心豊かな時間を共にできました。

私達は最後に「幸せです。愛してます」とお互いに言い合って別れることができました。

私達の魂に、今生の「愛する、愛される」と言う実体験は深く刻み込まれたのだと思います。

 

ですが、それらを踏まえた上でも、やはり私は自分に向き合う必要があり、だからこそ一旦治療家から身を引く必要がありました。

 

治療家なんてやる意味があるのか。

それは今に限らず、考えることはあります。

究極的には誰もが自分自身の問題に自ら向うことでしか自分を変えることはできないからです。

 

ですが、今の日本では自分に向き合える人が少なく、安易に何かに依存する傾向が強いように思います。

自分の人生、自分の命に真剣に向き合わずして良くなるわけがないのに。


権威を妄信しますか?

マスメディアを妄信しますか?

それで良いのですか?


また同時に人のことに無関心過ぎて心の通わない世の中でもある。

それで自分の心、人の心は救われるのでしょうか?


そういった歪な世の中で、ただ室内で施術だけをして意味があるのか・・・

 

私達は死ぬことから離れすぎて、だからこそ死を恐れます。

だから現代医療では延命治療をするのではないでしょうか?

死を受け入れることはできますか?

 

私はパートナーのTをこの腕の中で見送りました。

初めての体験です。

・・・

 

話がどこかへ行ってしまいますね(笑)

 

簡単に言うと、自分に向き合う必要がある。その為には物理的に場所を変えることと時間が必要だと思ったからです。

そう言ったことが理由で、私は一旦治療家を辞めたということです。

経験を肥やしに

だからと言って、このまま終わるなんてことはみじんも考えていませんでした。

 

亡くなったTと描いていた目標がある。

 

また、

「もっと根本的な治療をする必要がある」。

 

だからこそ今までも、自然農の田畑を学び、大地の再生を学び、心の学び(自分に向き合う)をし、歴史を学ぶことをしてきました。そして、世の中が変わる必要があると考え、15年前から目標にしていた、これからの新しい「村づくり」に改めて進んで行きます。

それが15年という時間を経て、より明確になってきたのです。

 

これだけ歪んだ世の中では、それら無しには人も健康には生きて行けない。。

 

いつでも手放す勇気を持つ。

過去に常識に囚われない。

周りの目を気にしない。

自分に集中。

 

常に未来を見つめながら、どんな過去も肥やしにして、今を大切に生きます。

ここまで来て読んでくださった方へ。

有難うございます。